疑うこと
お盆の期間になり、大変な豪雨がこの地域を襲ってきました。皆様、お気をつけてお過ごしください。
さて、九州の線状降水帯ですが、何だか朝鮮半島の先から雲が湧いているような感じに見えます。何なのでしょうか?
少なくとも私の子供時代には、線状降水帯なるものは存在せず、気候変動はあるにしても、この20年ほどの雨の降り方は異常にしか見えません。
だから私は疑っています。
あまり「陰謀論」みたいに言われたくはありませんが、現代の科学力なら、気象を操ることができても不思議ではありません。
そう考えると、毎年の中学~大学までの入試も、昨年と同じと思わない方が賢明だと思います。
故・さいとうたかを先生が、「同じ動きは二度とない」と、作画に関する明言を残しておられます。同様に、同じ状況は二度とないと考えて、今後も行動すべきなのでしょう。
最近、何らかの推薦(高校での内申点を利用したり、1芸に秀でていたり)で大学に進んだ人の中退率が上がっているという話を聞きました。いち早くAO入試を始めた慶応大学に関して、以前から言われていたことと同じだと思います。
もちろん、ルールに則った受験は否定しません。しかし、内申点を高めていくことと、大学での学びは違うものだと思います。与えられたことを覚えるだけでは、人間としての自立がありません。
今後、入試を迎える人たちには、幅広い知識を持って、以前と同じことはないと胸に刻みながら、自分にとっての最適解を目指して、勉強してほしいと思います。
自己の存在さえ疑う「われ思う、故に我あり(Cogito, ergo sum:コギトエルゴスム)」ことで、自分の存在が確立できるのです。
マスクをしている人はどうでしょうか? コロナ対策は正しかったのでしょうか?
日本人は、事後の検証ということをしなさすぎます。歴史を振り返ることも曖昧なまま、歴史的な出来事に関する解釈は、政治思想によって大きな食い違いがあります。
日本人が日本において「日本人ファースト」ということが何故「差別」と言われるのか?
これからの未来ある学生さんたちには、大いに議論し、検証し、疑いを持って世の中を眺め、より正しい方向に、この国を導いてほしいと思います。
