あれから14年
2011年3月11日、今から14年前に東日本大震災が起こりました。
私は横浜の塾に勤めていました。
あと数百メートルでその塾に着く、という地点で激しい揺れに遭遇しました。
生涯初めて経験する大きな地面の揺れ。
傍のブロック塀に後ろ手を付いて、揺れが収まるのを待ちました。
やがて近所の人たちが数名家から出てきて、私を含めて口々に「酷い揺れでしたね」と言い合いました。
山手通り沿いでしたが、向こう側に停まっている2階建てバスの2階部分が、とても大きく左右に振れているのが見えました。
同時に、頭の上の沢山の電線が、縄跳びの縄のようにしなっていました。
未だに、私は強風の時に電線が揺れるのを見ると、あの日を思い出さずにはいられません。
その日をきっかけに、幾つかの事情が重なり、その塾を離れて独立することになります。
塾長はいつも通り来ていない状態で(本当に時間にルーズなのです)、4名の生徒さんが午後4時過ぎにやって来ました。
お家に連絡を取って、パートの女性とアルバイトの大学生を話し合って、2名は保護者様にお迎えに来て貰い、2名は一人ずつお家まで送るように指示しました。
ご記憶のある方はいらっしゃるでしょう、あの日、携帯電話が2~3時間通じなくなっていました。
塾長が来ないのはいつものことでしたが、そんな状態で塾の授業を続ける訳にはいかず、「私が責任を取るから」ということで、パートの女性と大学生には納得して貰いました。
塾長はその時間、自宅最寄り駅で電車が止まって足止めを食った状態だったようです。6時過ぎに、「鍵をかけて退出するように」というメールがありました。
どうでもいいですが、16:30から自分の授業があるのに、藤沢の辻堂駅に14:50に着いていて、どうするつもりだったんでしょうか?
私はひとまず行けるところまで、横浜駅方面に向かうバスに乗り、幸いシングルが空いていた関内のビジネスホテルに宿泊できました。
そこの塾長とは良い思い出がないのですが、今こうして思い出すと、独立すべきと背中を押してくれた出来事、それが東日本大震災だったように感じます。
最後になりましたが、その時に、亡くなられた方々に対して、心よりお悔やみ申し上げます。
