あれから13年
このタイトルで、私と思いを同じくする方もいらっしゃると思います。13年前、2011年3月11日、そう東日本大震災の日です。
その時、私は勤務していた横浜市内の学習塾へ出勤途中でした。午後3時までに入ればOKの日でした。勤務先まであと何十メートルと近づいた時、地面が揺れました。左手のブロック塀に体を預けるようにしていると、近隣の住民の方々が数名、歩道に出てこられました。電線がいまにもちぎれんばかりに大きく揺れ、右前方の道路わきに止まっている2階建てのバスが大きく左右に揺れていました。
長かった揺れが収まり、勤務先に着くと、パートの女性と近所に住んでいる男子大学生がいました。ひとしきり、体験した凄い揺れの話をしながら、3人ともが被害状況を知ろうと各自のスマホに目をやりました。すると
ヤフーのニュース欄や天気予報に出てきたのは、広範囲で震度5以上の揺れがあったこと、横浜市内をはじめ神奈川県内の停電が起きていること、などでした。今日は休講にした方がいいですね、などと話していたのですが、肝心の塾長に連絡がつかない状態でした。あとで分かったのですが、塾長はまだこの時藤沢市内の自宅にいて、バスが動かず出勤できないが電話も繋がらない状態だったようです。授業が16:30からなのに、時間にルーズなのもいい加減にしてほしいと、社員一同心から思いました。
それでも5人生徒さんがやってきましたので、自習ということにして暫く様子を見ていました。17:30頃だったか、塾長と漸くメールが繋がり、「早く閉めて帰るように」と指示がありました。生徒さんたちの自宅に各自で連絡して貰い、3人はご家族がお迎えに来られ、残った近所の生徒2人には大学生とパート女性にそれぞれ連れだって帰って貰いました。
私自身の悲劇はこの翌日以降に起きるのですが、とにもかくにも東海道線など各鉄道は全く動かず、徒歩で1時間くらいかけて横浜スタジアム傍まで行き、関内のビジネスホテルに宿泊することになりました。
それがきっかけで、独立して平山塾を開くことになりますが、その後ネットニュースで分かった悲惨な東北の状態、東海村の様子などは、未だに鮮明に覚えています。
改めて今日、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、元日に北陸地方を襲った地震災害で被災した方々に、お見舞い申し上げるとともに、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
とりとめのない思いですが、少し述べさせて頂きました。失礼しました。